青木理の『安倍三代』を読んだタイミングで『報道1930』では「安倍家三代と旧統一教会」という特集だって。受け取り方はいろいろだろうけれども、やはり今年は安倍晋三の年だったとも言えるよな、などと思いつつ。
本の方では父方の安倍寛との三代、一方、テレビの方では母方の岸信介との三代。
安倍寛という人のことはちいとも知らなかったんだけれども、かなり素晴らしい人だったようにお見受けする。晋三の代わりに安倍寛が総理をつとめてくれていれば、日本はここまで滅茶苦茶にはならなかっただろう、というか、寧ろ、それなりにまともな国になっていたのではないか……という無茶な比較をしてみたくなるぐらいに正義の人だったようだ。
本を読んでもテレビをみても、どうしてもご先祖さまたちと比べることにになってしまうが、何より強く感じたのは安倍寛、岸信介、晋太郎は政治家になる気があってなったんだってことね。
一方、晋三は三代目のぼんぼん以外の何ものでもなく、政治のことなどきちんと考えたこともなく、小学校から大学までエスカレーターで勉強もろくにせず、コネで就職して三年たったところで、何となく世襲する流れになっちゃった……ぐらいのところからはじまったんじゃないかな、と。
で、政治の世界に足を踏み入れ、周りの海千山千のおっさんたちに都合よく踊らされているうちに、おれって意外にイケてるダンサーなのかもってな勘違いをしたりして、何たることか、うっかり総理大臣になっちゃった。ただ踊らされてきただけなのに。
そんでもって、肩書きが人を作るというたとえの通り、おれさまはえらいんだぞ、なんて踏んぞりかえるようになってしまった、かわいそうな人なのではないかという印象を持った次第。
総理になったこと、というか、政治家になったこと自体、彼にとっては不幸なことだったかもね。結果、日本全体にとってもとてもとても不幸なことになってしまったわけだけれど。
政治には向いてなかったよな。ぼんぼんらしくふわっと楽しいぼんぼんライフを送れば幸せだったんじゃないだろうか。
……なんてなことを書きたかったわけではないんだった。
図書館で貸し出す本が無料なのは嬉しいけれども、著者に還元されないのは残念だよなって話を書くつもりだったんだ。
貸し出しの記録システムはあるわけだから、音楽の再生に対するギャランティみたいなものを国が払うわけにはいかないだろうか、ということを思う次第。
図書館というシステムは素晴らしいし、文化のために無料で利用できるまま維持していくべきだけれども、作家や出版社を支えるためには貸し出しに対しても幾許かの印税的なものを発生させる仕組みが作れないかなあ、と。いかがでしょうか。