まあ、縁ってものはあるよね。

思い出したことをもうちょっと書いておこう。

曲が選ばれたのは良かったんだけれど、当時のうちの機材と私のレコーディング技術ではちょびっと不安があった。
それで、むらたつとむに連絡したのだった。あさがやんずの80年代後半のキーボードね。というか、よく考えると、あさがやんずで正式メンバーと認定されたキーボード・プレイヤーは他にいないんだな。

彼は当時すでに超がつく売れっ子ミュージシャンをプロデュースする立場で大忙しだったはずだが、協力を快諾してくれた。えらいね。
歳下ってだけで横からわあわあ言われながらの作業はやりにくかっただろうなと思うけれども、まあ、そういうところは巡り合わせってことで諦めてもらおう。

実はこの “Voices in the Air” のギターを弾いているのはむらたである。
私自身ギタリストであるので自分で弾くのが筋ではあろうけれども、気持ちよく協力してくれた彼をはっきりした形でフィーチャーしたかったんだな。それに、そもそも私よりギターが上手なんですよ。

同じ道具を使っていても、他の人の作業を見ることによって発見することというのはいろいろある。
その制作の過程で彼がloopを扱う手際を目にして、私はようやくloopってものの使い方をわかったような気がしたのでありました。
技術的な実験/テストの意味合いでloopを使った作品群を作ってみようと始めたのが BakaNeko Project なのであります。実際のところ、結局はloopを切り貼りするよりも自分で弾いたり打ち込んだりする方が楽だなってことの連続で、いまだにloopの扱いは得意ではないんだけどさ。

この『September Rising』で協力してもらったところから、また一緒に呑む機会ができてきたりした流れで、むらたのMisaco + Otherzへの参加、あさがやんずレコードの設立へと繋がっていくのであります。
世の中、何が起こるか、意外で面白いもんだよね。いや、ほんとにさ。

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September Rising

新しいものをリリースするといろいろレスポンスがあって嬉しいものだけれど、その中にいつもとは毛色がちがうものがあったので、ちょこっと書いておこう。

9月11日だからしばらくぶりに『September Rising』も聴いてみたんだけれどいいアルバムだから改めて世に送り出すべきだよ、というものだった。

911の出来事に際して Digital Performer(という音楽制作ソフトウェア)のユーザ・グループの中から音楽で貢献できることはないだろうかと意見交換が進むところから始まったチャリティ・アルバムなのです。売り上げはすてが救済に回る。音楽家は音楽の力で協力すべきだよなというイメージだったな。

2曲提出したら両方選ばれてしまい、各人1曲だから自分でどちらかを選びたまえということになった。少しだけ悩んだけれど、Voices in the Airという方を使うことにした。
失われた命の声がそこここの宙空に漂って響いているという、最初にニュースを目にしたときに浮かんだ幻視的な映像に触発されたものだ。頭文字を並べるとVITAとなる。ラテン語で生命を意味することば。

20年前でありながら基本的には今で言うテレワークで進められた作品。
実を言えば、メンバーの誰にも直接会ったことは未だにない。ネットを介してのコミュニケイションのみ。日本にいたのは私だけだったということもあるけれども、時代を考えるとなかなか先進的な制作スタイルだったと言えるかもしれない。

完成したアルバムはアメリカを中心に世界各国で売られたわけだけれど、日本では友だちに助けられ、知り合いのレーベルやMacEXPOで扱ってもらったりして、幾許かの義捐金として役に立てることができた。

今やデジタルで配信できる時代だし、友人のすすめ通り、再度世に送り出すのはいいよなと思い、アルバムを一緒に作った仲間の一人 Hiro Honshuku(日本人だけどアメリカ在住の音楽家)さんにコンタクトしたところ、あらびっくり、もうSoundcloudで聴けるようになっているよ、とのこと。

気が向いたら聴いてみてください。

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Where Do All Souls Go?

NanaSky

日本で一番好きな作家は石川淳なんですよ。これはここ何十年も私の中で揺るがない。じゃあ、その次はってことになるとちょっともやもや。候補の一人は内田百閒。

その百閒先生、「ノラや」って作品の中で行方不明になった猫のために千々に心乱され、悲嘆に暮れる様を綴っているのだけれど、それがね、もう限度を超えている。そこまでいくとちょっと微妙じゃないかしら、なんて引いてしまう人もいるだろうというほどであります。氏を敬愛しているとはいえ、幾ら何でも些か度を越しておりますなあ、などと思っていたものだった、わたくしも。

実は、昨年の夏、我が家のでぶねこが亡くなったのであります。
齢二〇歳、人間で言えば百歳になろうってなところだろうし、好き放題な生活をしていたわけで、大往生の部類だと思う。そう思うんだけれど、具合がおかしくなっていよいよ長くはないなと見えた辺りから、気を抜くと涙が止まらないという有り様で、側から眺めていたら、あのおっさん、どうかしてるぜってなもんだったろう。うん、まあ、当事者になるとなかなかね、思っていたのとはちがうんだな。思い知ったよ。百閒先生のことを云々している場合ではなかった。泣いた。

現代では移動式火葬場、というか、火葬車ってなものがあり、お願いした。
晴れた空が眩しい日だった。待っている間にその青きを見上げていたら、魂ってのはどこにいくんだろうな、という素朴な思いが胸を過り、英語の歌詞とセットでメロディになったのだった。なったのはいいんだけれども、英語的に納得ができない部分がある。Where do all souls go? って歌詞なんだけれど、soulsがソウ・ルズって2音節になっちゃうんだよね。これはおかしい。いろいろ捻ってみたんだけれど、メロディも譲れないし歌詞も譲れないってことで、英語的な正しさに引っ込んでもらうことにした。他にも怪しいところはあるわけだし、所詮はその程度のファーイーストなりの英語力なわけだし、大事なのは心意気だぜ、などと嘯いたりして。

明後日、その”Where Do All Souls Go?” って曲をリリースしますよ、という駄文長々しい宣伝でございました。よろしくどうぞ。

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分断じゃ前に進めないよ。

君の文章は無駄口満載で長いから読む気がしないよ、という人のために結論を書いておくと「分断はだめだよ」、言いたいことはこれ。

ご存知のように私は弛んでいる上に妄言を吐きがちなおっさんであります。しかも、あらゆる方向で専門知識というものを持っていない。こういうところ、逆に自慢したいぐらいだけどね。
兎にも角にも、データを精査したわけでもなく、うろ覚え頼りのぼんやり脳みそでど素人の意見を記す次第。そんなの何の役に立つんだ? 立つわけないね。

そんな私、コロナ禍という言葉を使ったことがない。というのも、日本での状況は徹頭徹尾おろかな政府やそこにぶら下がる官僚や守銭奴のみなみなさんによる人災以外の何ものでもないと思うから。

今の状況にどのぐらいの危機感をみんなが感じているのかはもはやようわからんですね。数字が大股で一人歩きしているせいで感覚が麻痺してきているということもある。

例えば、我が町杉並の保健所の陽性率、東京都より先行して上がる傾向があるような気がしますが、15日までの週で52%ですよ。52%。横浜市長選の投票率よりちょっと上だね、菅の支持率の2倍か、なんてな具合で、もはや何の数字かわからない世界。
民間のPCRから陽性者のみが流れてくるので高めに出ちゃうという話も教わりましたが、それにしたって、ねえ。
ちなみに、WHOとしては陽性率が5%もあったら大変だ、検査が足りてない証拠である、とっとともっともっと検査しろ、検査だ、検査だってことらしいのにね。
52%もあるんだよ。どうすればいいんだよ。やけくそだ、褌一丁で裸踊りでもするか。いや、誰もそれを私に求めてはいまい。

こんな具合だから収束なんてほど遠いだろうと、シットな政府や自分ファーストな知事に首を絞められている現実を大きに嘆いている毎日ですが、いま私がもっとも心配しているのは分断ということですよ。

竹中・安倍政権以降、この国では重要な情報を気軽に改竄したり隠蔽したりするようになってしまいました。その結果、あらゆることに疑心暗鬼にならざるを得ない。政府が絡んでいることは疑わずにはいられない。これは私だけではないでしょう。

そんな中、みんなそれぞれの立場で正解が判然としないまま迷いながらも生きていかにゃならん。生きることは選択の連続だ。悩ましいぜ。

例えば、PCR、医療崩壊、ワクチン、オリンピック、アホノマスク、GO TO、夜の街、様々なキーワードが浮かんでは消え再浮上したりしつつ、混迷を後押ししている。もう1年半もだよ。
ワクチンにしてもオリンピックにしても、限られた情報しか与えられず、それさえ信頼できるかどうかわからないこの国では、意見がまちまちになるのは当然だ。

でね、なんかさ、意見の相違やすれちがいでちょっとずつ険悪な気持ちを抱えたりしてストレスが増大してる人がふえている気がするんだ。でも、分断はよくない。意見を述べる。結構。議論する。グッドだ。でもさ、そこで仲違いはちがう。怒りや不満は全て政府に向けるべきだよ。こんな世の中にしたのは政府とその周辺の有象無象なんだから。

分断じゃ前に進めないんだよ。そこんところ、まじでよろしくお願い申し上げる次第です。何卒、何卒。

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日本はすごい! すごい? すごいよ、いろんな意味で。

乱暴なことも書くかもしれないので、私の暴言に慣れている人以外は読まない方がいいかもしれない。
……なんて、予防線をはりつつも大した意見があるわけではないのが、私というものではありますけれども。

まず言っておきたいのは病院と自宅との区別もつかないようなすっとこどっこいは、国や都の長という責任の重い役職はとっとと辞すべきだってこと。
うちには、これをお服みなさいな、なんつって薬をもってきてくれる看護師さんはいない。いるのは庭を闊歩した泥足でベッドに上がってくる愚かな猫である。
当然のことながら、苦しみながら横になっているだけでご飯が出てきたり、体温や酸素飽和度をはかりにきてくれたりもしない。
あんたらあほか。

最近よく見聞きする基準で考えるなら、重症の半歩手前の中等症に相当する状態で救急搬送された私、半日か1日遅れていたら間に合わなかったね、とお医者さんに言われた次第。もっとも、当初はかなりよれよれで意識も朦朧としがちな状態だったので、その話を聞いたのはかなりあとになってからだったけれども。
これ、家族がいて、近所に頼れるお医者さんがいて、の流れですよ。
一人暮らしなら余裕でアウトの側だったろう。

そういうことを思い出しながら考えるに、棄民党……あ、打ち間違えた……自民党の方針では多くの国民が苦しもうと少なからぬ人々が死んでしまおうとも、まあ、しょうがないなってことなんだろうね。政策は明らかにばればれの失敗続きだけど、下々の連中相手に頭下げるのは嫌だし、自分たちはこんな状況でも入院できるつてがあるから大丈夫だしって。

この国ではまともに検査しない/できない状態で、結果、コロナは蔓延している。いつどこで誰が感染するかわからない。感染した場合、自宅放置というシステムが待っている。
普通に考えると、思いもかけず命を失う人が増えるんでしょう。
なので、財産分与や子どもの将来をどうするか等々、きちんと伝えたいことがある人は遺書を書いておく方がいいかもしれない。そんなことを思う。
そりゃちょっと大袈裟でしょ、と仰る人も多いだろう。そうね。ものは言いようだ。
所詮は素人の直観でしかないけれども、そんなこたぁ滅多に起きるもんじゃねえぜ、ってレベルから、そういうことが身近で起きることもあるかもしれませんね、ってな感覚に変わってきたかな。そんな印象。

ってなことになっているにもかかわらず、一方ではここを先途と思うやつらもいるでしょうな。
パソナや電通の*有能*な連中はこれから需要がどんどん高まるであろう葬儀や火葬場やお墓ってなビジネスに食い込んでぼろ儲けしようと企んでいることだろう。いや、もうすでに準備万端でてぐすねひいて待ってたりして。

病院がもう目一杯なのはみえみえだし、救急車はなかなか来なかろう。来ても行き先がみつからない可能性がある。友よ、コロナに限らず、あらゆる怪我や病気に注意しなきゃなりませんぞよ。

オリンピックなんぞ中断して、そのリソースを全て医療に向けるぐらいしてもどうにもならないかもしれないって状況なんじゃないの?
ほんとのとこはどうなのよ。
ねえねえ。

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水いらず『ほとんど、空』

これ、かなりいいですよ。

声の、何というべきか、幾分頼りない、内省的な響きがメロディによくフィットしている。

言葉の選び方もいいね、青くさいけれど……いや、そうじゃなく、青くさくていいんだな、まだ青が似合う人々。
枯葉色が腐葉土化しはじめたおっさんたちとはちがうんだ。

ベッドルーム的な手作り感も音質の温もりも魅力的だ。

応援したい気になるよ。

チャンスがあれば聴いてみるといい。アルバムを入手しないまでも、AppleMusicやSpotifyででも。

あとは生の演奏をみたいなあ。手っ取り早いのは対バンの企画を組むことだけれども。

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