自己責任論に溺れることなかれ

自己責任論を振りかざせば何でもありみたいな風潮は、おそらくは新自由主義を奉じる人々が都合の良い逃げ道として使い出してから広まったという印象がある。だったら、強者の側がよく使うんだろうなと思うのがあたりまえなわけだけれども、なぜか、どっちかと言えば弱者、どっちかと言えば搾取されている側なんじゃないのかと思われる人たちが、自分より弱い立場の人たちに向けてこの言葉を放つ場面も頻々とみられるように思われるジャパン。どうなっとるんじゃ。
日本ってそんな国だったかな。道端に誰かが転んでいたら、自己責任だろって薄ら笑いを浮かべて通り過ぎるのか。そうじゃないだろ。大丈夫ですかと手を差し伸べるのが、私が生きてきた日本の姿だと思うんだけれども、もはやそれは遠い昔の夢物語なんだろうか。
自己責任論には無理矢理考えれば一理はあるかもしれんって場面もあるのが勘違いを促進していることが多そうだが、何よりもしっかり意識しておきたいのは、そこにさまざまな意見があろうとも、人権というものが何にも増して優先されねばならんということです。人間が人間らしく生きるという権利。このことを超える自己責任論なんて存在しないんだよ。
そこんとこよろしくでございます。

  • ちなみに、日本は国連の自由権規約委員会から怒られてばかりの人権後進国でござんすよ。