法政、おお我が母校?

我が母校法政からオンライン・イヴェントをやってるよ、みたいなメールがきた。写真展ってなページを眺めてみたけれど、あまりの記憶のなさに愕然とする。
55年館やら何やら書かれていてもどの建物のことかわからない。当時の写真を見ているにも関わらず、ですよ。
正門を入って左側が学館、正面の校舎の左手に学生課があってその先に図書館だったような……ぐらいのぼんやりもわもわの記憶しかない。

川向こうの校舎はなんていう名まえだったんだろうな。そこも近場の昼間から呑める敏いとう経営のスナックだかなんだかの記憶がぼんやりあるぐらいなだけだけど。あとは学食の170円のカレー。

考えてみるまでもなく、本当に学校に足を運んでいなかったから、記憶のなさはしょうがないか。

一番たくさん出た授業は体育。それは市ヶ谷じゃなく武蔵小杉。13回通った。これは体育の先生と何回顔を出せば単位をくれるのか交渉した結果なのでよく覚えている。
他の授業はもっと出てないっていうか、ちっとも出ていない。
語学は出席がマストって話だったので最初にちょびちょび顔をだした。それもテストで点数をたっぷり取れるなら出なくても単位をくれる気配だったから、すぐにやめた。実際、何とかなったことに味をしめて、翌年からは最初から語学にも出ないことにした。

もっと学校に行って学生っぽい生活を謳歌すれば良かったなあ、なんて思ったりもするわけだけれども、目の前にない話だからそんなことを思っているだけで、現実になったらまた同じように行かないんだろうな。