場所ではなく関係か。

私は学校を出てからは組織に属したことがない。あさがやんずレコードはフリーランスの集合体だし、あとは、バンドぐらいかな。バンドって組織なの? ちょっとちがうよね。

父方のじいさんは曹洞宗、ばあさんはキリスト教の牧師の娘、母方は神道。両親の結婚でそれが一つ屋根の下に集うことになったわけ。そういう宗教的にハイブリッドな感じが日本っぽいねってところではあるけれども、父は我が家は無宗教でいこうと決めたのだったと聞いている。特定の宗教を奉じるわけではないが、信仰心はそれなりにしっかりあったふたりだったな。
父の葬式ではベニー・グッドマンを流し、母のときにはフォーレのレクイエムを選んだ。葬儀としては宗教的な色はほぼほぼなし。

私は無宗教、支持政党なし、どこにも所属しない、云わば一匹狼で生きてきている。それはちょっと恰好よくいいすぎだな。実態としては、あちこちふらふらゆらゆらしている根無草人生ですよ。

なんてなことを書いてから、この本『説教 十字架上の七つの言葉(キリスト新聞社)』のことを少し。
私が属した数少ない組織、杉並区立東田中学サッカー部の仲間が書いたものです。一緒にボールを蹴って、バンドをやったりもした。気がついたら高校も同じだったな。あとがきには同級生にまつわるちょっと胸の痛いエピソードも記されている。私もたまに思い出している人のこと。60年も生きているとちょくちょく死んだ人のことが浮かんでくるよね。

読みかけのこの本、コロナで教会活動もなかなか自由には行えなかったなかでの説教集なのですよ。
先に書いたように私は無宗教を標榜しておる者であるし、なんでもかんでも心に入ってくるということはない。しかも、まだ読みかけなの。
そんな中で面白いなと思ったのが、楽園や天国は場所ではなく関係なんだってくだり。なるほど。そう考えるなら、楽園や天国というもののありようを思い描けるような気がするな。

そういや、昔、le Paradisってバンドをやったな、あれは誰がネイミングしたんだったろう。