日本で一番好きな作家は石川淳なんですよ。これはここ何十年も私の中で揺るがない。じゃあ、その次はってことになるとちょっともやもや。候補の一人は内田百閒。
その百閒先生、「ノラや」って作品の中で行方不明になった猫のために千々に心乱され、悲嘆に暮れる様を綴っているのだけれど、それがね、もう限度を超えている。そこまでいくとちょっと微妙じゃないかしら、なんて引いてしまう人もいるだろうというほどであります。
氏を敬愛しているとはいえ、幾ら何でも些か度を越しておりますなあ、などと思っていたものだった、わたくしも。
実は、昨年の夏、我が家のでぶ猫が亡くなったのであります。
齢二〇歳、人間で言えば百歳になろうってなところだろうし、好き放題な生活をしていたわけで、大往生の部類だと思う。そう思うんだけれど、具合がおかしくなっていよいよ長くはないなと見えた辺りから、気を抜くと涙が止まらないという有り様で、わきから眺めていたら、あのおっさん、どうかしてるぜってなもんだったんだろう。うん、まあ、当事者になるとなかなかね、思っていたのとはちがうんだな。思い知ったよ。百閒先生のことを云々している場合ではなかった。泣いた。
現代では移動式火葬場、というか、火葬車ってものがあり、そいつをお願いした。晴れた空が眩しい日だった。待っている間にその青きを見上げていたら、魂ってのはどこにいくんだろうな、という素朴な思いが胸を過り、英語の歌詞とセットでメロディになった。なったのはいいんだけれども、英語的に納得ができない部分がある。Where do all souls go? って歌詞なんだけれど、soulsがソウ・ルズって2音節になっちゃうんだよね。これはおかしい。いろいろ捻ってみたんだけれど、メロディも譲れないし歌詞も譲れないってことで、英語的な正しさに引っ込んでもらうことにした。他にも怪しいところはあるわけだし、所詮はその程度のファーイーストなりの英語力なわけだし、大事なのは心意気だぜ、などと嘯いたりして。
その”Where Do All Souls Go?” って曲をリリースしますよ、という駄文長々しい宣伝でございました。よろしくどうぞ。