買わないという選択

ご存知のように私はぼんやりと、志ん生の言葉を借りるなら、ついでに生きているような盆暗ライフを送っている愚かしいものであります。

あんたんとこは代々そうなのかい、と問われれば、声を大にして否定せねばならないな。私以外はみんなそれなりにきちんとした人たちなのですよ、多分。

直近の先祖であるところのわが父は社会的にもきちんとしていたし、人生の中で出会った人の中でおそらくもっとも頭がいい人の一人でありました。毎日勤めに出るような生活をしていたわけではないので、一緒に過ごした時間も少なくない。そんなわけで、影響を受けているところがそれなりにあります。いや、もっともっと学ぶべきであったろうな、と思う……って、もう間もなく還暦になるおじいちゃん、あんた、今頃、何言うてはりますのん、みたいな世界ではありますか。

ニュース番組でメーデーだったり安保だったり、何だったら、浅間山荘だったり、市ヶ谷の三島だったり、ってなものを目にした。小学生の頃のことだ。同年輩の人なら同じような記憶を抱えている人も少なくないだろう。

その時に、父が話してくれたこと。

みんなが世の中を良くしようと思ってやっていることなんだけれど、この世界にはいろいろな人がいるから意見がうまく噛み合うとは限らない。そんな時に、どうアプローチするかというのも、意見と同様に人それぞれなのだよ、というようなことであった。そして、法律を犯すのはよくないし、暴力も良くない。私はいつでも暴力じゃない方法を選ぶ。そんなことだったな。

世の中を変える本線は選挙で自分が正しいと思う人に票を投じることだ。これは権利でもあり、本当は義務でもあると。こんなようなことを小学生にわかるような言葉で語ってくれたのですよ。

話は続いた。子どもには選挙権がないけれども、それでもできることはあるんだよ。それは悪いと思う会社のものは買わないということ。遠回りだし、小さな力かもしれないけれども、これも大事なことなんだよ、と。

斯くして、非買というスタンスを学んだのだけれども、肝心のどういう会社が悪いのかってことが判然としないのが今と変わらずぼうっと生きていた小学生の限界だったかな。

それでも、戦争に加担している企業のものはうちでは買わない、公害や薬害をもたらしたところのものも買わない、などという両親の会話から、なるほどな、と自分なりに思い込んでいったのであります。

どんなことでも完璧にはできないもんですよ。だからと言って、やらないよりはましであるのも、また事実。そんなわけで、私は私なりのちょっとぬるめの非買活動をかれこれ半世紀ほど続けてきている。

今度のオリンピックの一連の動きの中でまた買えないメイカーが増えたよ。ふむ。

もちろん、あくまでも選挙で正義の一票を投じることが本線だけれども、非買だって重要な態度なんだってことは、君にも知っておいてほしいんだ。よろしくね。

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