『Views From 13th Floor East』

1/22に『Views From 13th Floor East』というアルバムをリリースします。Zenta Sato名義で出すのははじめてになりますね。

私は人生において名曲しか書いたことがないと豪語する図々しい人間です。どの曲もいい。うん。いや、ほんとに。
なんだけれども、『Views From 13th Floor East』、14曲通しでひとつの作品として聴いてほしいという気持ちも強いんです。なんというか、君の30分を騙されたと思ってこのアルバムに費やしてくれ、ってなこと? ベイビー、おまえの30分をおれにくれ、みたいな?

というのも、これはちょっとヘンテコなコンセプト・アルバムだからです。
昏迷状態で救急車で病院に運び込まれてそのまま入院。足元おぼつかぬよれよれ姿なれどもどうにかこうにか退院して家のベッドにかえりつくまで。そんなプロセス。私小説の短篇集みたいだよなとも思ったりして。

アルバム・タイトルは入院していた13階東病棟のこと。
一ヶ月ぐらい入っていたんだけれど、多少元気になってきた後半にはMacBookとちっちゃい鍵盤を持ち込んで曲を書いていたんですね。2週間ほどで断片を含めれば40曲以上。
言葉はそううまくはいかなかった。普通の会話に困るようなことはなかったけれど、創作というレベルではまるで書けなかったな。一方、音はどんどん出てきた。鍵盤の前に座ると溢れてくる。不思議な感覚でした。
言葉と音、脳の使う場所がちがうんだね。

このアルバムを作っているとき、当時の景色や感覚が頭の中を往来して、「生きなおす」というか「死に損ないなおす」というか、独特な再体験というところもありましたよ。そういう意味でも作ってよかった。

アートワークは清正崇。
鈴木純夫氏のコラージュ作品を帯に使わせてもらっています。
毎度お馴染みのMIsacoさんは3フレーズのみの参加。
それと、みずほさんにナーシング・ヴォイスを提供してもらっています。

よろしくどうぞ。

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私はZenta Satoではないのだろうか。

Apple Music / Spotify / Amazon Musicなど、演者アカウントみたいなのを作ると自分の曲の情報にアクセスできたりするようになるわけなんですが、Amazon Musicがどうしても私をZenta Sato本人と認めようとしないんですよ。3回ほど申請したんだけれど、あなたは本人とは認められない、みたいな返事がきて却下。どういうこと?

アグリゲイタともリンクさせているのに。

ちなみに、AppleやSpotifyでは申請してすぐに認証されています。本人なので当然と言えば当然なわけですが。

Amazonよ、わしの何がいけないんだ。SNSのアイコンが猫だからか。

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bokenasu records

あさがやんずレコードという、のんびりしているけれどもクォリティの高いものを作る(自画自賛)レーベルをチームでやっておる私です。友人知人のみなさんの多くはご承知の通り。

Misaco + Otherz、ミサザキナオコ、BakaNeko Projectのアルバム、『バット・オンリー・ラヴ』のサントラもそこからリリースしているわけね。

2年連続で入院したり、昨今はコロナ騒動などもあり……などなどの影響を受け、少なからず停滞している感じがありますが、このあともミヤザキナオコの2nd、扇好師匠の1st、Misaco + Otherzの3rd……世に送り出さなきゃならないものがまだまだたくさん。お楽しみに。

それはそれとして、あさがやんずレコードをA面とするならB面に相当するような心算で超お気楽な個人レーベルをはじめます。
bokenasu records。その名の通り、ぼけなす感(?)を前面に押し出していこうかな、と。

あさがやんずレコードが真ん中にあって、その両隣にむらたつとむのKotonoha Factory、私のbokenasu recordsがあるようなイメージかな。なんかおもろいバランスじゃありませんか?

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三密よりも大切なこと

三密に気をつけたまえ、みたいなことをよく耳にする時代になったわけだけれども、みんなにもっと大切なことを教えよう。

三密も大事だけどさ、その前に三無をなんとかしないといけません。
無知・無恥・無能。この三無をなんとかしなさい。三無を国や自治体の天辺から取り除かないかぎり、下々のものがいくら三密回避にがんばっても追いつかないですよ。いや、ほんとに。

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君もいきなよ。

長いのは読む気がしないって人はたくさんいるだろうから、結論から書く。
都民の諸君、選挙にいけ。
正義や平等を考え、弱者の側に立てる人間を選べ。
よろしくね。

ご存知のように、私はなかなかに弛んだ人間であります。だらだらずるずる弛んだ生を送り、この世に別れを告げるその日までへらへらと過ごしたい。そんな風に思っておるのであります、まじで。

そんなくそ弛んだ私ですが、ちょっと自慢したいところだってなくはない。次から次へと名曲をうみだす、なんてことではなく、泥酔きわまってもねちゃうだけであまり手がかからない、なんてなことでもなく、選挙に全出席しているってことですよ。自分で書いていてすげえと思う。学校もスタジオも、仕事のようなことでも遊びの約束でも、気楽にサボるこの私が、選挙を休んだことがない。すげえじゃん。
甚だしい二日酔いのときでも、誰一人入れたくなるような候補者がいないときでも、とにもかくにも投票してきたし、これからもそうするつもりであります。

なぜかと問うまでもなく、これは当たり前のことなんだ、少なくとも私にとっては。

選挙なんて意味ない、とか、選挙いっても何も変わんないし、ってな感覚でいる人も少なくないだろう。いかないって選択をしてるんだよ、って人もいるだろう。呆れるほど低い投票率を見れば歴然である。

選挙権ってのは文字通りに権利であるけれども、私の感覚では義務でもある。
投票を義務化している国だっていくらもあるけど日本では義務じゃないじゃん、とおっしゃるか。その通り。だがね、そういうことを言っているのではない。私個人の感覚では……って話ね。

民主主義ってのはみんなが権利を持っている、つまり、ある特定の個人やグループが権利を独占しないって仕組みなわけじゃん。なんだけど、今の日本はどうだい。50%ほどの投票率、20%に満たない得票率で政権を握る。簡単に言うと支持している人は5人に1人以下。残りの人は反対か無関心。そんな政権がこの国を左右する。しかも、この惨状。これじゃ民主主義の看板が泣くぜってなもんじゃん? 民主主義らしい民主主義を実現するにはもっと多くの人が投票することで直接参加すべきなのじゃよ。

選挙では欠かさず投票してきていると書いた。その昔、つまり二十歳とかそんな頃には自分と自分の国の現実に対して投票していた感覚だったかな。それから40年近く経て、今は自分自身の、というよりは、この国の未来、この国に今後も生き、生まれ育つ人々のためにいっているんだと思っているよ。これ以上ひどい国にならないように。
これが、私としては投票行動は義務だと感じる所以かな。
自分の現実に、というより、これから生きていく人たちの未来のために。

私はもちろんいく。君もいきなよ。
正義や平等ということをあらためて考えよう。
そして、自分が弱者なら当然のことながら弱者に味方する人に入れればいい。自分が弱者でないなら……うむ、それでも、弱者の味方である人に入れなよ。
暴れるだけがパンクじゃない。弱いものの側に立つのもパンクである。あれ? 何の話だっけ?
っていうか、そもそも私はパンクスではないわけだし。

とにもかくにもそんな感じでよろしくね。

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